第69話   黒鯛の渡り   平成15年12月20日  

庄内では晩秋になると釣り人の間に良く何処何処に「渡りが来た」とか「渡りが入った」と云うニュースが飛び込んで来たものだ。

渡りとは、黒鯛が越冬するために何班かの大きな集団となり、昔から北(遠くは男鹿から秋田県境付近)から南(新潟沖)の方まで移動すると云われて来た。その集団が途中で時化に会うと湾内に入ってきたり、移動中磯のある場所で餌を採るために休むと釣人は渡りが入ってきたと云う。この群れに出会うと釣り人は決まって大釣りする。

「篠子鯛」の所で「湧き」の話をしたが、それとはまたちょっとニュアンスが異なる。「湧き」の場合は比較的小型の当歳から二歳ものが海水面が変色するほどに数が多いのに対して「渡り」となると黄鯛クラス(30cm前後)が多く変色するほどに数は多くない。夏場の黄鯛クラスは35枚程度で集団を作るものが、この場合もっと大きな集団を作って大挙して行動を起こすのである。 この渡り黒鯛には大型の黒鯛という話は聞いたことがない。大型は冷たい海に対応してその大半が、居付きの黒鯛となってしまうのではないかとも思える。その証拠にはブッコミなどで1月頃に釣れるものは、45cmを超えるものが多いからである。

この渡りは毎年海の荒れる頃11月中から末頃に多いが、同じ場所とは限らずラッキーな釣り人だけが楽しめる。条件により渡りは一日で居なくなることもあるし、又何日か其処に止まる事もある。この渡りの黒鯛は魚体がきれいで堤防や磯に住みついていたものとは、明らかに異なるのですぐに判別が付く。

男鹿の黄鯛クラスは厳冬期でも良く釣れるから南までは移動して来ない。少し沖の深みに入っていて集団でお腹が減ると岸の近くに餌を漁りに来るので、大量の撒餌で来るのを待つ釣りであった。そしてその集団が来ると入れ食いの状態がしばらく続くので、昭和4050年代の庄内の釣人はマイカーもしくは小型バスを借りて集団で良く釣りに行った。

自分は黒鯛が北から南に移動するということは考えられないと思っている。集団を作るのは分かっているのである程度の移動はあるが、近くの深みに移動すると考えている。ただ残念な事に最近その渡りの話もあまり聞こえて来なくなった。やはり絶対の数が少なくなった来たからなのだろうか?